イーダのマンガ探訪

個人的にお勧めなマンガやアニメなどを上げていきます

矢口高雄を偲んで「かつみ」「9で割れ‼」

矢口高雄先生を偲んで・・・

矢口高雄といえば、だれが何と言っても「釣りキチ三平」でしょう。

釣りのだいご味と自然豊かな背景は彼の代名詞ともなっています。

その緻密な清流や森、山里の風景だけでも素晴らしいものですが

その中にあってもキャラクターはきちんと浮き出て見える。

これ、マンガという芸術にとっては非常に大事な事なんです。

私も少々マンガを書いておりましたが、とにかく矢口先生の

背景は凄い!圧倒される!その一語に尽きます。

素晴らしい作品を残してくださった矢口高雄先生、ありがとうございました。

美しいだけじゃない田舎を描いた傑作「かつみ」

実は私は意外と矢口先生の作品を持っていません。

もちろん「釣りキチ三平」は読んでいますが、60巻以上の大作となると

全部買うには当時の私には無理すぎました。

しかし同時期少年サンデーで連載されていた「かつみ」という作品は

今でも手元に置いてあります。

かつみ (1)

かつみ (1)

 

 このユリッペそっくりな女の子が主人公のかつみです。

時代は(というか刊行年代が)1970年代後半ということで

まだ東北の農村部では冬になると東京へ出稼ぎに出るのが一般的でした。

かつみが高1になったとき、父が出稼ぎ先から一人の青年を

連れて帰ってくるところから話がはじまります。

東京に疲れた不思議な青年、北川

人懐こく、田舎に夢を抱いている北川の姿はかつみには

異星人にも見えるものでした。

当時は当然インターネットもSNSも無く、かつみには

田舎は狭苦しく時代遅れで東京は先進的で素晴らしいところだという

感覚しか持っていなかったからです。

そして北川も、この農村でのすばらしさと共に

ここでの暮らしがいかに過酷なものかを知っていくことになります。

自然と対峙して暮らしていく事、特に雪国でそれがいかに

大変な事なのかを。

全三巻に収められた田舎への想い、東京への想い

それでも北川は頑として東京へは帰らず、この雪国に

生活することにこだわります。

厳しい冬が終え、花が咲き田植えが始まる

希望に満ちた春。そして北川自身の春。

この冬や春の描写こそ矢口高雄の本領発揮というべき

季節のうつろいの描写の素晴らしさがあります。

背景もそうですが、生活のちょっとしたところ。

自然に溶け込んだ人の生活は雪国育ちの矢口高雄だからこそ

描けるものでしょう。

そして東京の良いところ、悪いところも。

結局、東京からの招かざる客の来訪によってこの作品は

終わってしまいます。

この作品はかつみという少女を通して見た北川中心の話になっており

かつみたちと別れた北川がこれからどうなっていくかなどは

描かれておりません。続編も無いようですし。

しかし、私にとっては「矢口作品」を別角度から見たような

そんな印象深い作品となっています。

巻末に掲載された「嫁ききん」「長持唄裁判」

この2編は、「かつみ」より更に古く、1970年代前半のものです。

絵柄も当時の劇画、特に白土三平の影響が見て取れます。

特に「長持唄裁判」は矢口高雄のデビュー作でもあり、

その美しい背景とはうらはらな閉鎖的な田舎象というものが

残酷なまでに描かれており

それだけでも一見の価値があろうかと思われます。

この作品のリメイク版を「9で割れ‼」でも見ることができます。

矢口高雄青春記「9で割れ!!」

9で割れ!!―昭和銀行田園支店 (1)

9で割れ!!―昭和銀行田園支店 (1)

 

 こちらの作品は矢口高雄のデビュー前、銀行マンだったころが

メインの話になっています。

銀行に就職し、目まぐるしい仕事に追われながらもマンガという夢を

捨てきれず、いかにしてあの「矢口高雄」が誕生したかという

自叙伝的な作品です。

もはや異世界?昭和の銀行

まだテレビも普及する前の次第です。

今とは仕事の内容こそ同じですが、そのプロセスは

かなり現代とはかけ離れたものとなっていて

「銀行マンがこんなことまでするの?」というエピソードや

「9で割れ」の意味など、今銀行や経理担当をしている

特に若い世代の人には、まるで異世界の話のように見えるかもしれません。

そうして、ある意味順調に銀行マンとして働き、結婚までしていた彼に

マンガ家を目指すようになってしまうある作品が登場します。

劇画「カムイ伝」との出会い

私はどちらかというとアニメの「カムイ外伝」方が先に知ったクチなんですが

この頃の白土三平の一連の作品はマンガ界に激風をもたらしたようです。

それまでのマンガといえば、やはり手塚調のまるっこくてかわいい絵柄が

メインであり、それがスタンダードでもありました。

白土三平の初期作品を見ても手塚治虫の影響が色濃く見えます。

ところが「カムイ伝」「忍者武芸調」といったあたりから

白土三平の描く世界「劇画」はそれまでの常識を覆し

子供よりむしろ大人をメインターゲットにした作品となっていたのです。

身重な妻を横目で見つつマンガを描く

今なら同人誌やwebマンガなど、気軽にマンガが書ける環境がありますが

当時はもちろんそんなものはありません。

銀行マンとして働く傍ら、マンガ家を目指して投稿する。

それぐらいしか無かった時代です。

最終的には「銀行マンを取るかマンガ家を取るか」になってきます。

もちろん「夢を見つつ現実に生きる」というのがほどんどの人でしょう。

一大転機!水木しげるとの出会い

自分で傑作だと思って送ったマンガが無碍なく送り返された場合

誰もが「何故だ!?」と憤る事でしょう。

なんと矢口高雄はわざわざ東京の編集部まで直談判に行ってしまいます。

そこで言われたのは、「アイディアは良いけど絵がね・・・」という

まさかの一言。

私も持ち込みをしたことがありまして、その時に22歳でこの絵だと

限界に近いね。というものでした。今はまた基準が違っているので

画風や作風によっては30歳でも40歳でもデビューできる可能性は

あるかと思われます。

そんな折、たまたまその編集長と水木しげるの電話の中から

水木しげるが会ってくれるという夢のような展開に!

水木プロでの衝撃とアドバイス

これが無かったら漫画家、矢口高雄は居なかったと言っても過言ではありません。

当時そこでアシスタントとして働いていたつげ義春池上遼一などの

助言や水木しげる自らの言葉が矢口高雄をマンガ家として

再度奮い立たせる事になります。

基本を見直し創作する毎日。そうして完成されたのが

先ほどもあった「長持唄裁判」だったのです。

その後、兼業漫画家として過ごすも、当時の銀行の事です。

奥さんの出産にも立ち会えない。上司には「お前が生むわけじゃないだろう」

という、今ではあり得ないお言葉までいただいてしまいます。

そんな折、宴席で「しょせんマンガ」というような事を言われてしまい

売り言葉に買い言葉で銀行を辞め上京してしまう事になるのです。

その後の活躍は皆さんもご存じの通り。

デビューこそ30歳と遅かったですが、晩年までマンガを描き続けられたというのは

人気商売であるこの業界としては非常に稀な存在

幸せなマンガ家生命であったといえるでしょう。

改めで、矢口高雄先生、多くの作品をありがとうございました。

合掌。